「ロードス島へ」で、若き技術者に対して「自分を売り込むこと」をアドバイスした。今回は、「売り込む方法」についてのヒントをひとつ紹介したい。
先般、ふとしたキッカケから、久方ぶりにベアトリス・キャベスタニさんに会った。 スペイン人の彼女は、現在、小野田サビエル高校の校長先生だが、日本語はベラベラで、日本文化への造詣が深く、筆をとらせても並みの日本人書家に決して引けを取らない。彼女は、今や、小野田市の重鎮的存在で、国際文化に関する市の知恵袋となっている。
私は彼女のファンの一人で、彼女も、多分、私のファンだと勝手に思っているのだが、実は、私個人の彼女との交流は、30年前にさかのぼる。
1972年、宇部興産の機械事業部（当時）は、トルコ向けにカプロラクタムプラントの受注に成功した。当社では初めての大型プラントの受注で、この仕事を立派に完成させるために、社内から精鋭を集め、トルコラクタムプラント部（略称TL部）なるプロジェクトチームが宇部に編成された。
私もそのメンバーの一人となって宇部に転勤してきたわけだが、先ず第一の課題は英語の問題であった。
当時の宇部興産では、海外経験者は数えるほどしかおらず、英語に堪能な人材は皆無に近い状態であった。
一方、トルコ人はといえば、彼等もトルコ語という立派な母国語をもっており英語は外国語ではあるが、エンジニアには留学経験者も多く、アンカラにあるトルコの名門・中近東大学では技術系の講座はすべて英語で行われているとのことで、彼等の英会話レベルは我々とは月とスッポンほどの開きがあった。
トルコ現地で技術ネゴをしても、彼等がスラスラと発する質問に対して、当方側のエンジニアの答えはいつもシドロモドロ。第三者がみると、どちらが先生か分からない状態であった。
こうした状況を少しでも早く打開するために、私はTL英会話教室を企画し、教師の選定に入った。当時は本社でも英会話教室があったが、教師が日本人男性ということもあって、生徒の集まりがあまりよくなかった。
私は、教師の候補を最初から若い女性に絞り、宇部市内や近郊を調べて歩いた。その中で、運良く（？）私の網にかかったのが、当時、スペインのフランシスコ教会からサビエル高校に派遣されたばかりの若き美人教師ベアトリス・キャベスタニさんであった。
20代前半の彼女はくっきりした目鼻立ちに加えて、ファッション雑誌から抜け出たようなスタイルで、たちまち、英会話教室は大入満員の盛況となった。
前置きが随分長くなってしまったが、今ではすっかり小野田市の名士に定着した彼女が、先般、私たちの会合に途中参加した。私との旧交を温める挨拶もそこそこに、突然、居合わせた男どもに「心は何処にありますか？」と質問したのだ。
面食らった男どもがキョトンとしていると、もう一度、はっきりした口調で「あなたの心は何処にありますか？」と訊いた。男どもも一応は名士のはしくれ、「分かりません」というわけにはいかず、それぞれ思い思いの答えを出した。
私も、質問の真意を掴めないまま、「此処です」と自分の胸を指して答えた。「心臓」という単語が頭に浮かんだ以外に特に自信はなかった。
全員から回答を得て、満足げな笑みを浮かべたキャベスタニさんは、「流石に皆さん立派な答えです。」と、お世辞としか思えない前置きをした後で、全く意外な“正解”を披露したのだ。
彼女は、ゆっくりと全員の眼を見回したあと、極めて断定的に諭すようにいった。
「心は人と人の間にあるのです。」
私は、一瞬、内心で「あっ」と叫び、大袈裟にいえば、眼からウロコが剥がれ落ちるのを感じた。
私は、これまで、営業とは自分を売り込むことだとか、自分のファンをつくることだといった自説を展開してきたが、その方法について触れたことはなかった。もし訊かれれば、それは人それぞれのノウハウだ、というのが私の用意した回答だったが、実は、自分でもよく分からないというのが本音だった。
しかし、彼女のこの言葉を聞いた途端、このひとことが一瞬にして私の長年の疑問に対する回答を与えたように感じた。しかもその回答は正鵠を射たものであると直感的に理解できた。相手を自分のファンにするというのは、正に、相手との間に「心」を通わせることなのだ。そのためには、当然、相手の立場を理解しなければならないし、相手の主張にも耳を傾ける必要がある。このようなステップを踏んで初めて相手は貴方に対して「心」を開き、コミュニケーションが可能となる。相手が貴方のファンになるのはその後の話なのだ。
この重要な示唆を与えてくれた彼女の端正な笑顔を思い出しながら、私は内心「ハイ、先生、分かりました。」とつぶやき、キリスト教の世界も悪くないなぁと思ったりしている。
（2002年2月 記）
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