山口工業を震撼させた“アルジェリア事件”に入る前に、当時のプラント・ビジネスについて、もう少し触れておきたい。竜也にとって、恐らく、この頃がサラリーマン生活で最も楽しい時期だったはずだ。


　 　営業第3部の営業品目が、化学とセメント以外の“何でもあり”という解釈の下、竜也は色々な分野に手を出した。先のアヒルの水兵さんを名古屋の港に持ち込んだことがある。
　当時、元上司の末村は名古屋支店長に昇格していたが、末村から名古屋市向けに面白いアイデアを提供してはどうかとの誘いがあった。
「名古屋は東京と大阪の狭間にあって、今ひとつパッとしたものがない。数年後にデザイン博をやることになっているが、この機会に世間を驚かせるようなことをやりたい意向がある。トッピなアイデアを出してみてはどうか。」

　調べてみると、４年後に世界デザイン博が予定されていた。名古屋城、白鳥公園、名古屋港の3箇所が会場となるらしい。竜也にアイデアが閃いた。
「名古屋港だ！　港にバージを浮かべて、その上をプレイランドにする！」

　早速、笠島ドッグの南田に電話をかけた。笠島ドッグは山口工業の子会社で中規模の造船所である。南田は設計部長をしていた。
「南田さん、バージの上にジェットコースターや色々な遊戯具を乗せたいのですが、何トンくらいのバージが必要ですかね。遊戯具の重量と外形図をファックスで送るので、概略のバージを設計してもらえませんか。」
　南田は以前デュッセルドルフに来たときに、夕食をご馳走したことがあり、竜也のことをよく覚えていた。
「何だか面白そうですね。やってみましょう。」

　1週間後、南田が作成したバージの設計図面、T社から取り寄せた遊戯具の資料、それにアヒルの水兵さんのカタログなどを持参して、末村の案内で名古屋港管理組合を訪問した。

　バージの外周に沿って走るジェットコースター、その中には色々な遊戯具が配置され、船底には小型の水族館まである。楽しさ一杯の想像図を眺めながら、担当課長はつぶやいた。
「これは面白そうですね。予算はどのくらい見ておけばよろしいですか。」
「概算で、上物が20億、下のバージが矢張り20億、合計で40億くらいだと思います。遊戯具の中身や水族館の仕様によって多少の変動はありますが・・・」
　竜也は課長の反応を窺いながら慎重に答えた。
「そうですか。極端に高いという印象ではありませんね。実は、私どもはこの種のイベントで過去に失敗があるものですから・・・」
「と言いますと？」
「いや、南極観測船“ふじ”ですよ。あれを展示するのに70億もかけました。その割には人気がなくて・・・」

　課長の話を要約すると、お役目御苦労で引退した南極観測船“ふじ”を名古屋港に設置して港の目玉にしようと、本船を買い入れた。購入価格は安かったが、設置するに当たって法律上の問題が出てきた。港に浮かべると、船舶法の適用を受け運輸省管轄。陸上に設置すると、建築基準法が適用され、管轄は建設省。
　船舶法の場合、船は自走できることが前提になる。また、常時、船のケアをする専任の船長を置かなければならない。建築基準法だと、本船は耐震強度を考慮した固定が必要で、しかも消防法の適用を受けるため、船内の廊下や階段はすべてやりかえて大きくしなければならない。

　管理組合では、結局、本船を海上で固定係留し、廊下や階段を全面的にやり替えた。その費用が総額70億円だという。

　会議の後、“ふじ”の展示場を見せてもらった。全長100ｍの南極観測船は、船体をオレンジ色に塗られ、桟橋に係留されていた。周囲には本船が流れ出さないよう何本もの大型パイルが打ち込まれ、固定されていた。中の廊下や階段は広く、天井も十分な高さがあった。しかも、一部、バリアフリーになっていて、車椅子でも見学できるようになっていた。

「なるほど、これじゃあ、高くつくわけだ。」
　竜也は独り言とも取れる台詞を課長に向かって投げかけた。
「こういうものは、縦割り行政の狭間にあるので、バージについてもよく考えておいて下さい。」
　宿題をくれた課長にお礼を言い、竜也は末村と2人で帰りの車に向かった。

　その後、何度か名古屋港を訪問したが、フローティング・プレイランドは、結局、実現しなかった。矢張り、運輸省と建設省の管轄の問題から上手い解決方法が見つからなかった。

　竜也は他にも色々なものに手を出した。S大学の寺島教授と協力してトマトの水耕栽培にも取り組んだ。水耕栽培はプラントと呼ぶには程遠い。ポイントは水を循環させるシステムと液肥の加え方にある。竜也はY電気に協力を求め、独自のシステムを作った。苗床を入れる箱には関係会社・山口化成のDプレートというポリプロピレンを採用した。
　山口化成の北島常務は竜也に輪をかけたアイデア・マンで、営業第３部の仕事に興味をもったのか、竜也に変わった仕事を色々と紹介した。その中には、オガ屑を混ぜて作ったDプレートをパチンコ台のベニヤ板の代わりに使用するというプロジェクトまであった。釘が打てるからという理由からだったが、流石に竜也はパチンコ台にまで踏み込む勇気はなかった。

　水耕栽培の設備は1号機を岡山県のY村に納めた。その後、クウェートからも熱心な引き合いが寄せられた。“砂漠を野菜畑に変える”というロマンに惹かれて、現地に専門家を派遣し、立派なサニーレタス畑を砂漠に作った。
　だが、水耕栽培のビジネスは長続きしなかった。Dプレートの箱とY電気のシステムを組み合わせただけでは、ハードは200万円もあれば出来てしまう。これではビジネスにならない。竜也はソフト面でビジネスを構築することを考えた。ソフトは、つまり種子である。

　当時、遺伝子組み換え技術は世界中に浸透しており、新種のタネが次々に上市されていた。寺島教授からの情報で、オランダに黒いピーマンがあると聞いて、興味をもった。早速、デュッセルドルフの田辺に電話した。竜也の後、部下の田辺が所長に昇格していた。　
「ついでの時に、オランダで野菜のタネを買ってきてくれないか。それを今度の一時帰国の時にでも持って帰って欲しい。」
「あなたの言うことなら何でも聞きますが、また、変わったことを考えておられるようですな。」
　田辺の元気そうな声を聞いて、竜也は急にドイツが懐かしくなった。

　植物のタネは入国時に検疫を通さなければならない。田辺に面倒をかけて手に入れた黒いピーマンの種を竜也は大事そうに自宅に持ち帰った。一晩水に漬けておいたタネを20粒ほど苗床に入れた。5日ほどで小さな芽が顔を出した。少し成長するのを待って、3株ずつ植木鉢に移した。一番強そうなのを残して後は捨てる予定だ。
　2週間も経つと、５cmほどに成長した。娘たちが珍しそうに訊いた。
「お父さん、何ができるの？」
「黒いピーマンだよ。」
「そんなもの作って、食べるの？」
「いや、会社に持っていく。」
「それって、お仕事なの？」
「まあね。」
「お父さん、会社で野菜作ってるんだ。」
「そういうわけじゃないけど・・・」

　娘たちにまでからかわれて植えたピーマンのタネは、数ヶ月後に立派な黒い果実をつけた。竜也は黒いピーマンの果実を数えながら、奇妙に嬉しかった。

　会社の専務室に黒ピーマンの植木鉢を持ち込んだときの安井専務の顔は忘れがたい。ポカンと口を開けて、ピーマンと竜也の顔を代わる代わる見比べた。
「これ、アンタが作ったのか？」
「ハイ、そうです。」
「で、これをどうしようというのか？」
「別に目的はありません。ただ、寺島教授によると、銀座辺りの料亭に持っていくと高く買ってくれるそうですよ。」
「キミが持っていくのか？」
「いや、寺島さんにプレゼントしようかと思って・・・日本で初めての黒いピーマンですから。それとも、専務がお持ちになりますか？」
「要らん、要らん！」
　安井は慌てて手を振ると、呆れたようにケッ、ケッと笑った。

　竜也は植木鉢を引き取ると、自分のデスクに置いた。皆が珍しそうに覗き込んだ。
「キミはオレに言わせるとインターナショナル・スウィンドラーだよ。」
　本部長の中山が大声を出した。国際的ペテン師という意味だ。

　竜也は、黒いピーマンが直接ビジネスに結びつくとは考えていなかったが、こういう遊び心も仕事には必要だということを部下に知ってもらいたかった。


　社内には、竜也に輪をかけたスウィンドラーが居た。その名を小島鉄ニという。お世辞にもハンサムとはいえない大きな顔の下には小柄な胴体がついている。しかし、彼の口は超一流。口八丁手八丁というが、小島の口は八丁以上によく動く。極めて歯切れのいい台詞が彼の口からポンポン飛び出すと、聞いている方は、つい、その気になってしまう。

　小島は元々京都の樹脂研究所に居た。だが、東京の石油化学営業に転勤してくると、直ぐに水を得た魚のように商才を発揮した。当時、至難と思われたN製鉄・君津工場向けに山口工業の鋼管被服用ポリエチレンを売り込んだのは小島だった。普通、N製鉄のような巨大会社になると、山口工業の部長級でないと相手にしない。だが、平社員の小島は単身で君津に乗り込み、先方の鋼管事業部長と堂々とわたりあってくるのだ。また、小島は人脈を広げる上で独特の才能があり、必要なら大企業のトップにまで簡単に食い込んでいった。

　竜也が小島のことに驚いたのは、デユッセルドルフに居たときのこと。出張で出てきた小島が雑談の中で日本のテレビ番組について質問した。竜也は別に気に留めることもなく、日本に居たときによく観ていた“火曜サスペンス劇場”が好きだと答えた。
　2ヵ月後、小島は8本のビデオを持って、デュッセルドルフのオフィスにやってきた。その後も、毎週、1本のビデオが竜也のもとに届けられた。お陰で、竜也はドイツに居ながら欠かすことなく好きな日本の番組を観ることができたのである。

　竜也が帰国したとき、小島は、石油化学営業の係長に昇格していた。だが、自分の守備範囲だけを動く男ではない。
ある日、プラント営業の竜也のデスクにやってきて、面白い話があると、何時になく小声で喋りだした。
「今度、フロッピー・ディスクをやろうと思うのですが・・・」
「それって、コンピュータに使うディスクのことだろう？　キミのところの営業品目とは関係ないじゃないか。仕入販売でもやるの？」
「いや、ウチで作るんですよ。」
「作るって、何処でやるの？　技術も何もないだろう。」
「みんな此処にあります。」
　小島は自分の頭を指差しながら、更に続けた。
「この前からS社に食い込んでいましてね。あそこの金井専務とは懇意になりました。それで、金井専務が言うにはね、山口工業でフロッピー・ディスクを製造したらS社が全量引き取ってもいいと仰言る。」
「S社といえば、ハイテクのトップ・メーカーじゃないか。そこが引き受けるというなら販売の方は問題ないとして、製造はどうなるんだい。ウチにはそんな技術者は居ないはずだが・・・」
「そこは、蛇の道はヘビ。金井さん経由でチャンと技術も頂けるようになっています。それで、もし工場を新設するなら、中野さんのところに工場設計をお願いしようかと思って・・・」
「無理だよ。ウチにはそんな気の利いたことができる技術屋はいないよ。」
「いや、私も工場をじっくり見てきましたがね、大して難しくはないですよ。お宅の何とかプレイランドに較べたら簡単なもんよ。」
　最後は笑い飛ばして、小島は帰っていった。

　この時は、竜也は小島独特の冗談だろうと聞き流していたが、半年後に山口工業が東松山でフロッピー・ディスクの工場を建設すると正式発表があったとき、飛び上がるほど驚いた。同時に、小島の行動力に舌を巻いた。

　その頃、東京本社の研究開発本部に新しい動きがあった。千葉工場の工場長だった山添専務が本部長となって、着任してきた。竜也は知らなかったが、実は、山添専務は竜也の父とは浅からぬ因縁があった。

　竜也の叔父（父の末弟に当たる）中野宏は山添とは、K大、海軍を通じて無二の親友だった。学生時代に、宏は山添を神戸にある竜也の家に案内し、宿泊させたこともある。
　戦争が終わると、海軍将校といえども仕事を見つけなければならない。宏は大学で学んだ建築を活かして関西の名門T工務店に職をみつけた。が、化学出身の山添の就職は難しかった。そこで、宏は竜也の父に山添の就職を頼むことにした。竜也の父は、当時、食用油では大手のY製油の重役だった。宏は山添を連れて、神戸の自宅に竜也の父を訪ねた。願わくば、Y製油への就職をお願いしたいと頼んだが、竜也の父の返事は冷たかった。Y製油には、新規に人を採用するだけの枠がなかった。

　山添は、その後も色々ツテを頼って仕事を探し、結局、山口工業に採用された。だが、専務にまで昇格した今となっては、Y製油に行かなくてよかったという思いが強い。同じ東証一部上場ではあるが、会社の規模は山口工業が断然大きかった。

　研究開発本部に着任した山添は、各部署から10人ほどの部長職を引き抜いてきた。
「これからの研究開発は机の上の研究だけではダメだ。自分の足で新しいビジネスチャンスを探してくるのが君たちの仕事だ。分野は問わない。面白そうなものは何でも引っ張ってきてほしい。」
　山添の第1声に集められた10人の部長職は戸惑いの色を見せた。部下は誰もいない。全員一匹狼だ。何処に出かけてよいのかも分からない。
　その中の1人、綱島だけは違っていた。
「面白いじゃないか。“何でもあり”は望むところ。やってやろうじゃないか。」
　内心で呟いて、早速、人脈の整理に着手した。

　綱島はW大の計装の出身で、入社後はラクタム工場では電気・計装の仕事をしていた。 生来、好奇心旺盛で何にでも手を出した。圧巻は奇術。会社の園遊会で、美女を箱に入れ大型ノコギリで真っ二つに切り裂くという“インド魔術”を披露したこともある。
　後に、トルコ・ラクタム・プロジェクトに転出し、そこで竜也と知り合った。竜也は初めて綱島に会ったとき、彼の容貌に驚いた。およそ日本人には見えない。フィリピンに行けば、現地の人と区別がつかないだろう。
　綱島がトルコのアンカラに出張したときのエピソードがある。空港に出迎えたのは日本商事アンカラ所長の友田。こちらも日本人離れした風貌には定評がある。空港の到着ロビーで２人は一旦顔を見合わせたが、お互いに「これは日本人ではない」と判断して離れてしまったという。

　“何でもあり”が共通項の竜也と綱島は仕事の上でも接点が少なくなかった。綱島の持ち込む案件に竜也はことごとく手を出した。プリント基板、ポケットベル、パーキングメーター・・・
　どれひとつとして事業に結びついたものはなかった。だが、綱島とは会社を辞めた後も家族ぐるみの交際が続くことになる。

　営業第3部の“何でもあり”の仕事を通じて竜也は広い人脈を作った。この頃から、他人とのコミュニケーションが人生の目的といってもいいほどの重要な意味をもつことを、竜也は心の中でハッキリと認識するようになる。
　だが、竜也の“遊び心”は長くは続かなかった。あの忌まわしい事件が“遊び心”に終止符を打った。


　 　

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